カラテカ矢部太郎の「大家さんと僕」がすごい!反響続々のスピーチとは?

お笑いタレントの矢部太郎氏が、コミックエッセイ「大家さんと僕」で、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞するという快挙を達成しました。

矢部氏はなぜ漫画を描こうと思ったのか?

それまでの経歴はどんなものなのか。

授賞式での心温まるスピーチにも、ググっとせまってみましょう。

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矢部太郎氏ってどんな人?

矢部太郎

写真引用 ダヴィンチニュース

矢部太郎(やべ たろう)

・1977年6月30日東京都東村山市に生まれる。現在40歳。

・身長158㎝の体重40㎏、体脂肪率7%というかなりのやせ体型。血液型はAB型。

・吉本興業所属の日本のお笑いコンビ、カラテカのボケ担当。父は絵本作家のやべみつのり。

・「進ぬ!電波少年」の企画で、11か月でスワヒリ語、韓国語、モンゴル語、コイサンマン語の4か国語を学習。後に中国語も習得したので、5か国語を話せることになる。

・つかこうへい作演出の舞台作品に多く出演している。

・2007年に気象予報士の資格も取得し、語学力でも見せた高い学習能力を遺憾なく発揮。そのインテリぶりから東大卒では?と詮索されることもあるが、東京学芸大学教育学部に入学し、途中で除籍している。

・気象予報士の資格を取ってから、ある番組のお天気コーナーを受け持つことになるが、緊張すると下半身を触ってしまうクセが生放送で出てしまい、番組を降りることになる。矢部氏はその後「あれは申し訳ないことをした」と振り返っている。ツイッターで天気予報を掲載することがある。

結婚はしておらず、女性と接するのが大の苦手。2010年「世界笑える!ジャーナル」で花嫁候補を募集し挙式する企画を行ったが、1名に絞った最終候補が生放送中に現れず失敗した苦い過去がある。その女性と連絡は続けたが、交際には至らなかった。

・そして2016年「小説新潮」に矢部氏が住む家の大家さんとの日常を描いた漫画「大家さんと僕」を連載開始し、ほのぼのとした優しい描写で次第に人気を博すようになる。2017年10月に発売された単行本は21万部を突破し、2018年4月には第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。さらなる重版が予想される。

漫画を描くきっかけはなんだったの?

大家さんと僕

写真引用 新潮社

「『孤独な青年と孤独な老人のふれ合い』というドラマだね。面白いから、二人の物語を僕に書かせてくれないか?」

偶然、大家さんと矢部氏の関係に興味を抱いた漫画原作者、倉科遼氏にそう言われ、プロットを書いてほしいと頼まれた矢部氏。

自分でもなぜそうしたのかわからないようですが、4コマ漫画のようなものを描いて持っていったそうです。

すると、倉科さんが「これはすごくいいね。これを本にしよう」と褒め、矢部氏のマネージャーに相談し、その流れで作品を連載することが決まったんだとか。

なんだか凄い話ですね。

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「大家さんと僕」のヒットの秘密⁉

反響の大きさに当の矢部氏もびっくりしている様子。

大家さんと同世代の読者も多いと聞いた矢部氏は、ご高齢の方にも受け入れやすい絵柄と内容がヒットの要因かもしれないな、と分析しています。

そのほか、「客観的に見て、大家さんと僕の関係がとても不思議なものであることは分かるので、その不思議な世界を覗いてみたい、という好奇心を引き寄せたのかな…」とも語っています。

人気の秘密はたくさんありそうですが、確かに、血のつながりもない他人で、年もうんと離れたご婦人との関係って…。とてもミステリアスですね。矢部氏自体もまだまだ謎の多い人物ではありますが。

人と人の関係が希薄になったといわれ、ご近所づきあいの仕方も変わっていく昨今。

ましてや矢部氏と大家さんは東京都新宿の外れに在住、いくら外れといえども都会のイメージが強い場所です。

その中でひっそりと慎ましく送られる矢部氏と大家さんの日常は、現代社会に生きる私たちにとって癒しのひとつかもしれませんね。

何より、作品全体に流れる空気のやさしいこと。

絵のタッチもあると思いますが、ずっと2人のやりとりを見ていたくなるような、ほのぼのとした感覚が味わえます。

手塚治虫文化賞ってなに?

1997年に朝日新聞社が創設した賞。日本のマンガ文化を語るのに欠かせない手塚治虫氏の功績を記念し、マンガ文化のさらなる発展に寄与することを目的としている。

短編賞は第7回(2003年)から設けられた。

過去の受賞作品は、深谷かほる「夜廻り猫」、ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」、中村光「聖☆おにいさん」など多数。

本職のマンガ家以外でこれを達成するのは初めてのことであり、
氏が漫画を描き始めたのが38歳というのが何よりの驚きです!


10代、20代からスタートを切る漫画家が大半の世界なので、本当にスゴイことですよね。

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授賞式でのスピーチが話題!感涙する人も…

矢部太郎スピーチ

写真引用 Yahoo!ニュース

6月7日に行われた手塚治虫文化賞の贈呈式で、矢部氏が披露したスピーチが感動的だと話題になっています。口下手で知られる矢部氏ですが、いったいどんなことを話したのでしょうか?

その全文を読んでみましょう。

贈呈されたブロンズのアトム像をじっと見つめながら)あ……ありがとうございます……。思った以上にアトム像が重いです……。

 この度は手塚治虫先生という「漫画の神様」のお名前がついた賞を受賞させて頂きまして、大変光栄です。神様をも畏れぬことを思い切って言わせて頂きますと、手塚先生はどんなに売れっ子になられても、若い作家の先生の作品を読んで嫉妬されることがあったというお話を聞いたことがありまして、天国の手塚先生に、僕の本を読んで頂き、そしてほんの少しでもいいので嫉妬して頂けたら、嬉しいです。この賞がそういうものだったらいいな、と思います。

 僕はいま40歳で、38歳のときに漫画を描き始めました。38歳で漫画家になると言ったら、普通は周囲が全力で止めると思うのですが、僕の場合は、「作品にした方がいいよ」と言って下さった方がいました。倉科遼先生は僕の漫画をとても褒めて下さって、自分が自費出版してでも出したいと言って下さいました。相方の入江くんもすすめてくれて、入江くんの方は僕はあんまり覚えていないんですが、本人がそう言うので、そうなんだと思います。
 だから、新しいことに挑戦するのが苦手な僕ですが、描き始めることができました。他にも、デジタルで描いているので、文明の利器に助けられたということもあると思います。

でも一番は、大家さんがいつも、「矢部さんはいいわね、まだまだお若くて何でもできて。これからが楽しみですね」と言って下さっていたのですね。ご飯を食べていても、散歩をしていても、ずっといつも言って下さるので、本当に若いような気がしてきて、本当に何でもできるような気がしてきて……。これはあまり人には言っていないのですが、僕の中では、38歳だけど18歳だと思うようにしていました。だからいま、20歳(ハタチ)なんです。何を開き直っているんだと思われるかもしれませんが、これは本当に効果があって、10代だと思ったら大概の失敗は許せました。

 人生何があるか分からないとよく言いますが、中学生の頃、図書室でひとりで『火の鳥』を読んでいた僕が、いまここにいるなんて思いもよらなかったですし、芸人になって長く経ち、次第にすり減り、人生の斜陽を感じていた僕がいま、ここにこうしていることも、半年前には想像もつきませんでした。
 それでも、あの頃、全力で漫画を読んでいたこととか、芸人として仕事をして創作に関わってきたこととか、子供の頃、絵を描く仕事をする父の背中を見ていたこととか、なんだかすべては無駄ではなく、繋がっている気がしています。それは僕だけじゃなく、みんながそうなのではないかとも思います。

 お笑い芸人が僕の本業なのですが、人前でうまくしゃべることが苦手です。そんな「うまく言葉にできない気持ち」を、これからも少しでも漫画で描いていけたらと思っています。
 本日は本当にありがとうございました。

出典;Yahoo!ニュース

じんときてしまいますね。

このスピーチに寄せられた熱いコメントをちょっと紹介してみましょう。

▼俳優の木下ほうか氏のTwitterでのコメント▼

矢部太郎の授賞スピーチが、本当に素晴らしかった!皆、感動して泣いた。

木下氏は、矢部氏と家が近所で、飲みに行くなど親交があるとのこと。普段の彼を知るぶん、よりいっそう感動したのではないでしょうか。

 

仲の良さが伝わってきますね!矢部さんの笑顔にほっこり。

丁寧に言葉を紡ぐ矢部氏の真摯な姿勢は、多くの人の胸を打ち、感動の声が続々と届いているようです。

スピーチを読むだけでも、矢部氏の優しく真面目な人柄が伝わってきますね。

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最後に

ここまで、矢部氏の経歴、なぜ漫画を描き始めたか、スピーチの内容と紹介してきましたが、いかがでしたか?

彼の作品や、スピーチでの言葉には本当に、背中を押してもらえる気持ちになりますね。

何かを始めるのに遅すぎることはない、という格言が思い浮かびます。

年齢に縛られず自由な気持ちで、色んなことにトライしてみたくなりますね。

これからも矢部太郎氏を応援していきましょう!

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